2010年12月6日月曜日

だれがよむのかこんなはなし

どうもどうも、そうですね、僕です。BKSPに帰ってきました。


今日BKSPメンバーでいつものように飯食ってるとき、
「この単語はどういうの?」というのをベンガル人に聞いても「バロ ラゲナ」とかそのへんで返されて、突き詰めると対応する単語がない、ということってあるよねーみたいな話になりました。
「『A』」ていう単語の反対は?」て聞いたら「『Aじゃない』」て答えが返ってきたりとか。


これはおそらく語彙の豊富な日本語話者なら感じていること。
うちらの言語力不足を差し引いても、ベンガル語には特に細かいニュアンスを伝える語彙が少ないように思えます。
いろんな気持ちを「バロ(良い)」と「カラップ(悪い)」で表現しちゃう。
前々から書こうと思ってたけど、ちょうどいい機会なのでパパッと書いちゃいませう。



というわけで、まずは内田樹の本(『寝ながら学べる構造主義』)でソシュールの解説してるとこから一部を引用します。


言語活動とは「すでに分節されたもの」に名を与えるのではなく、満天の星を星座に分かつように、否定型的で星雲状の世界に切り分ける作業そのものなのです。ある観念があらかじめ存在し、それに名前がつくのではなく、名前がつくことで、ある観念が私たちの思考の中に存在するようになるのです


同書では身近な例として「肩が凝る」という日本語と、それに対応する英語について書かれてました。省略しますけど。
それでネットで見てみたらWikiで

「肩が凝る」という言葉は、夏目漱石による造語である。それ以前は、いわゆる肩こりについては特別にその症状を指す用語は存在しなかった。肩こりという言葉が生まれた事によって、多くの日本人が肩の筋肉が固くなる症状について自覚するようになったと言われる。

とありました。



これが本当かどうかはおいといて、自分がいつも引き合いに出すのは「切ない」です。
「切ない」ってことばをある個人が知ることで近くにある「悲しさ」とかとの境界線ができて、その人は「切なさ」という観念をはっきり認識することができる・・・みたいなね。
まーおんなじことですわ。
単純に「きもちわるい」から派生したはずの「キモい」ということばの持つ意味の幅を考えてもいいと思います。



これを踏まえると、ある国の語彙を見れば「その国の人たちにとって世界はどう見えているか」を知ることもできますね。
まあ国に限らず、個人、共同体のもつ語彙を通してそれぞれの感情や知覚の豊かさを垣間見ることも可能すよね。
んで、外国語を勉強する中で日本語にない言葉を知ることは、同時に新しい概念を得ること(=新しい線を引くこと)を意味し、世界に対する捉え方も厚みを増すとか増さないとか、そんな話ですよ。
外国語を本気で学んだ人なら経験としてわかってることを、それっぽく書いてみました。


・・・話がずれまくりそうですが、要するにある単語がベンガル語にない場合、ベンガル人はそういう感情を感じることができていない、正確にはその感情を認識することができない、ということになります。
「バロ」と「カラップ」に仕事させすぎてて、その中に線が引かれていないんですねー。


ベンガル語は音としてはそれなりに豊かな言語だと思います。が、語彙を見る限り感情の機微や繊細さへの知覚という点では弱く、話者が認識する世界の立体感が薄いかな、と。
ま、それでコミュニケーションが滞りなく成立する、それがバングラっつーことです。


これらはすべて自分の語彙力不足を棚に上げたうえでの印象なので、事実とは違うのかもしれないですけども。


やしがどう転んでも日本語は特にニュアンスを伝える語彙が豊富だし、外来語と一緒に新しい概念取り入れてる部分もあるし、すごく素敵というかフレキシブルな言語だなーとか思ったりしました。
ま、語彙が乏しすぎる残念な人もいるので、個人差はありますけどね。


そんな語彙と世界の認識の関係を頭ではわかりつつも僕らは「俺の言いたいことちゃんと伝わってるのか?」とモヤモヤしながら日々を過ごすわけです。

4 件のコメント:

  1. ちゃんと読んだよーこんな話ー

    ボリビアでのあいさつのおやくそく
    英語の"How are you?"的に取りあえず使う"Como esta?"
    すると応える"Bien"(=fine,good)
    何がいいのかなんでいいのか、、でも必ずそれを応えるしその他の答えは皆無。何か少しヤなことがあってもまぁそんなのさておき、基本幸せ。でもCAN的に言うと、基本いつでも頭ん中ハッピーってことだと理解できました。

    世界を知らないこと。あんまり深く考えないこと。
    これって幸せの条件なのかも、、

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  2. 構造主義ってそういうことやってんだ。読んでみたいと言うか、今度池上さんばりに解説して、飲みながら。
    そうだよね、よくわかるよ、頭の中が伝わらない感覚。日本に住んでてもあるからね、あざーっすで感謝を済ませてしまったり、誠実な謝罪の気持ちを伝えられる語彙を持たない悔しさ。国というか同一の言葉を話す集団全体で語彙が乏しいとすると、怖いなぁ。

    日本に生まれて良かったーと思わされるエピソードだね。あ、でも外から見て必死に日本語勉強するのも面白そう。

    やはり、語彙の豊かさは大人の証の1つだと思うな。40歳がマジやベーって言ってたら、間違いなく二度見するな。

    話は変わって、就職決まりそう、九分九厘。かねてから目指していた公務員です。地理的には大学時代の住所が近い。遠いベンガルの地で祝福してください。

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  3. 勉強になります!!
    以前色々な本で読んだんですが、喜屋武さんの解説でより理解が深まりました。
    さすが外国語の先生◎
    話者が認識する世界の立体感って大事ですよね~
    ただ言語の同一性って点で、言葉ができてしまうことで構造化が進み、逆に感覚的な広がりを失ってしまう部分もある気がします…
    …って言語を勉強するの昔から苦手なんですよね~(^^ゞ

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  4. >ytrさん
    わお、陽太郎さん!ありがとうございます!
    ベンガル語にもそういうのありますね~もうほぼ定型化して、返事しようとしたら相手はすでに聞いてない、てことも(笑)

    シンプルと複雑、優劣なんてないかもですけど、そういう世界で幸せに暮らしてる人たちを見れるのもいい経験かなってコメント見て思いました◎

    >もりみち
    わお、もりみち!!見てたのか!
    あくまで構造主義のエントリーの話だけどね、うちらの思考や行動は社会集団とかそのへんに影響されまくってますよーてことかな。

    とにかく語彙と価値観の関連性は言わずもがなでしょう。
    日本語を外国語として学ぶこともきっと発見や広がりが多くて面白いと思うさ~

    40代の「まじやべー」は俺も二度見だw


    そして公務員、おめでとう!!!!!
    安心して1年半後飲みにいけるな!!^皿^

    >ひさ
    わお、ひーさー!
    わかった気になってることをそれっぽく書いただけだけど、よかった^^まだ勉強中っす。
    言語を使うことでフレームができてしまうってことかな?
    でも結局もう人間って言語という枠からは抜け出せないかと…ハウスで飲みながら話してみたいなー

    プラス、会話も思考も何もかもことばを用いざるを得ないから、自然とその言語を採用してる共同体の思考体系を取り込んじゃうのもしかたないよねー。
    そのへんも見ることができるから言語の勉強は面白かったりすーるー

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